新宿二丁目という街の発祥起源を辿る②

明治~大正編

新宿が故郷である夏目漱石は、幼少時に現在の新宿二丁目に住んでおり、また文豪の芥川龍之介も同じく二丁目にて高校生活を送ったとされています。漱石の自伝とされる小説『道草』では、その情景や描写を感じる記述が多数あります。

内藤新宿は、明治維新以後も色街として変わらずに繁栄してきました。
1920年には「内藤」の冠称を外し、東京市四谷区新宿二丁目が変更となったことにより、現在の「新宿二丁目」の名称が初めて誕生することになります。その後、遊郭の名称も「新宿遊郭」と呼ばれるようになり、1923年の関東大震災により炎上してしまった吉原等の遊郭に対し、被害の少なかった新宿遊郭は最盛期を迎えることとなります。

また、京王線・小田急線などの私鉄路線の整備、それによる人口拡大によって、新宿駅を中心とした沿線の発展は著しく、新宿遊郭(新宿二丁目)は隆盛を誇ります。
しかし、新宿遊郭は1945年の戦災により焼失してしまいます。