移り往く中でも変わらない人情
この街への愛着が良心的な会計に顕れる
ゲイタウンとしての二丁目の歴史は、1958年に施行された売春防止法により空き家となった赤線の店を利用し、ゲイバーを営業したのが始まりとされています。1960年代頃からは、界隈で営業していた同業種の店舗も集まり、徐々にいまの街並みが形成されていきました。
かつては、ラシントンパレス(羅府会館)という二丁目のランドマーク的なホテルが新宿通り沿いにあり、最上階には回転展望レストランを備え、特徴ある外観の建物として2004年の閉館まで親しまれ続けていました。
東京メトロ・副都心線の新宿三丁目駅の開設、丸井アネックス館や商業施設が続々とオープンし、新宿三丁目を中心とした地価の高騰、オーナーママの高齢による後継者不足によって、二丁目界隈で営業してきた老舗ゲイバーの閉店が増えました。
奇しくも、インフラの利便性向上やセクシャリティに寛容な社会になることで、同じく有名なゲイタウンであるロンドン同様に、二丁目にも衰退の影が忍び寄ります。
異性愛者向けの店舗が激増する中で、また新しい街へと変貌を遂げ始めてきている。元来のゲイタウンとしての存続を危惧する一方で、料金設定も接客スタンスの良さも変わらず大事に営業するお店がほとんどです。
ただ、客足の遠退いたゲイバーやゲイクラブでは、異性愛の女性にも門戸を開き観光地化したことにより、今まで通りの”メンバーオンリー”としてではない営業をする店舗が増加しました。それによって、同性愛者の街として、お忍びとして利用していた既存顧客の二丁目離れにつながる事態に発展するケースもありました。そして、出会い系サイトやSNSの進化によっても、その状況に拍車をかけていきます。出会いの少ない同性愛者の大切な居場所を奪うことなく、共存共栄ができる環境が本来の姿であると思います。