新宿二丁目という街の発祥起源を辿る③

昭和(戦後)・ゲイタウンの始まり編

戦争が終わり、法律も変わり、ほとんどの遊廓は消滅していきます。
戦後初期の新宿は、ゲイタウンとしては未開の地であり、その多くは上野、浅草エリアを中心にそれぞれの繁華街にいくつか点在する程度といわれていました。GHQにより娼婦を認める制度が廃止されますが、赤線地帯として生き残り、風営法の許可を受け特殊飲食店として売春業は存続しながらも、道路整備等の理由で以前よりも縮小され範囲が狭くなります。

1958年に施行された売春防止法により、空き家となった赤線の店を利用し、ゲイバーを営業する店舗が出始めたことで、現在の二丁目のかたちへと変貌を遂げていきます。それから、旅館や飲食店、ヌードスタジオ、トルコ風呂(ソープランド)などが混在する地域となり、その姿を変え、要町、千鳥街、花園街界隈などで営業していた同業種の店舗、新しい店舗も集まり、徐々にいまの街並みが形成されていきました。

淫靡で反社会的であり、アンダーグラウンドなものとして揶揄されてきた同性愛者の世界も、バブル期以降を境に、世間での認知と理解が深まっていきます。いろいろなテレビや雑誌での特集、そして同性愛者のタレントの活躍が、今のゲイカルチャーの礎となっています。